平忠度
![]() 平忠盛の五男で清盛の弟にあたる。風流人の多い平家一門の中でも和歌への想いは群を抜いていると思われる。 忠度都落ちの話では、和歌の師である藤原俊成に対し、勅撰集が作られる時があれば一首でも良いので自分の歌を入れて欲しいと歌を託す。 一の谷の戦いでは奮戦するも空しく右手を落とされ、名も名乗らぬまま念仏を唱えながらに討ち取られた際も箙に潜ませていた和歌によりこの首の主が薩摩守忠度だと判明したという。 ─ゆき暮れて 木の下かげを 宿とせば 花やこよひの あるじならまし─ (「旅宿の花」) *** 後年、千載集が編まれる。 ─さざなみや 志賀の都は あれにしを 昔ながらの 山櫻かな─ (詠み人知らず) これこそ、忠度が俊成に託した歌の一つである。朝敵であったため、詠み人知らずとして載せられたのだ。 |